2010年06月08日

コマ割り1

コマ割りについては特に、常にすべてを「同時に認識」していなければ
ならないので、項目ごとに記事を分けない。
分けても覚えやすくはならないからだ。
複雑で巨大な一体なので理解するには大きな労力を
要すると決まっている。
100回ぐらい読めばわかるだろう。

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漫画は音楽の一種でありコマ割りは作曲に相当する漫画の心臓である。
基本一元的にはリズム譜であり多元的にはメロディとなる。
(絵柄は音色や声質で絵の手法が奏法や唱法、脚本は歌詞。)

コマの大きさが変化するのだから、絵の大きさは、
「紙面積との対比」「コマとの対比」が別々に同時に存在する。
これが絵の大きさの多元複合性である。

或る同じ長さの時間帯をいくつに分割するかが
シーンによって異なるのだから、
時間の長さは、「紙面積との対比」「コマ数との対比」が
別々に同時に存在する。
これが時間の長さの多元複合性である。

コマ割りは、上記の個々に多元複合の要素が多元複合したものである。

劇中の空間をどのように切り取るかも上記と一体。
また、コマの大きさや時間分割数が変化しない場合も
「変化しないこと」が変化部との対比で表現されるので、
コマ割りは常に積極的に存在する。
フィギアスケーターが常に動いているのと同じ。

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音楽に於いて、音の飛び幅が大きいと良いとか忙しいと立派という一元的な法則が
無いのと同様、漫画の絵が大きいと迫力があるとかひとつの動きをたくさん
分割するほど楽しいというような単純な法則は存在しない。
コマ割りは多元的複合による芸術である。
したがって単純に述べることができないのは
作曲はこうすれば必ずできると誰にも言えないのと同じである。
ただし実用的な方法は三種ある。
第一に、
紙が高価で少頭身の全身像のみで構成された前古典(古典は60年代に完成された
絶頂期の技法。それ以後新しいコマ割りは生まれていない)にメリハリをつけるという、
実際に手塚治虫やその弟世代漫画家がたどった進化を効率よく踏襲することである。

第二に、
多元複合の或る組み合わせは使える頻度に限界があるので、それを軸に構成する方法である。
或る色のクレパスが乏しければその色の配置を決めてから他を調節する、音楽ならば三連符は
要所にしか使えないのと同じ。
第三に、
「絵の小ささの価値」で述べた、枚数あたりのストーリーの密度を保つため標準的に小さな絵を
描かねばならないし空間・時間ともむやみに分割してはならないという、
正しく保守的な法則に基づくことである。

三種とも必須であり併用する。第二と第三は実作時も忘れてはならない。

コマ割りへの反応は塩をなめたら誰でもしょっぱいし不協和音は誰でも不愉快なのと同じで
すべての読者に共通した感覚である。人類の脳の直接反応であり、みな同じ。

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このページhttp://homepage1.nifty.com/sunano/ms21.htm上段のように、
〔顔アップの同じ大きさのコマがいくつか並ぶ〕ユニットは、たまにしか使えない。
「迷路の戦士」は80ページあるが一回しか使えない。
もう一回あったら妙な感じになってしまうことは想像すればわかるだろう。
連載で作品世界が読者に受け入れられて会話劇が成り立っているなら
別なのだが、連載初期は視覚的な活劇でなければならない。
いうまでもなく最初に描くのは短編である。

このページhttp://homepage1.nifty.com/sunano/ts12.htm上段のように、
〔大きくないひとつのコマにたくさんのセリフあるいは動作を描き込み長い時間帯を示す〕のは
進行密度を上げるのに有効だが、むやみには使えない。ムービーならシーンの一部を速回しで
見せていることになり、めまぐるしさは適度で心地良くなければならないからだ。
〔コマが大きいためたくさんセリフや動作が並んでも紙面積に対する時間帯の割合が標準的〕は
さかんに使ってよい。このページ中段はコマも絵も小さくない例。
このページ2コマめは絵が小さい例。

アニメの絵コンテによくあるように、
〔コマの大きさと形・紙に対する絵の大きさ・アングルすべて同じ複数コマを並べて一つのものの
変化を追う〕のは40ページに一回ぐらいしか使えない。ひじょうにあらたまった印象になるからだ。
(横山三国志で主役の一人関羽の死を知らされた主役の劉備が使者に対して
「その報告まちがいであろう。な、まちがいと言ってくれ・・・」と言い、背後で主役の孔明が目を伏せる
シーンに効果的に使われている。12000ページある中でそのシーンだけである。)
ただし、そのユニットがふたつありコマの大きさがはっきり異なるならぱ別にカウントできる。
林静一のようにアニメーター出身でこれをさかんに使う作家もいるが、
特殊な作風として成り立っている例外である。

顔をページいっぱいに描くような大きな絵は長編でしか使えない。
心地よいメリハリから逸脱するからだ。同様に、見開き一コマに全身像のツーショットを
いっぱいに描けるのも長編のみである。こまごま描き込む線密度の高い絵柄であっても同じ。
〔劇進行の紙面積当たりの密度のメリハリは絵柄とは関係ない〕からだ。
〔大きなコマに大きくない絵を描く〕のは可。

〔コマの大きさと形を統一し、紙に対する絵の大きさ(つまりカメラの寄り具合)が変化する
複数コマを並べて、一つのものの変化を追う〕は前古典に一つの自由さを加えた手法である。
コマ二つのユニットならさかんに使って良い。三つなら20ページに一回ぐらい、
四つは滅多に使えない。

この絵のようにhttp://homepage1.nifty.com/sunano/lt1.htm劇の始まりに大きなコマに
高いアングル(そこでは海メインなので特に極端に高いが)の広い光景を描くのは鉄板セオリーであり
すべての作品に使ってもよいぐらいだ。
横山三国志もあしたのジョーも雑誌版ゲゲケの鬼太郎も同じ始まりかたをしている。
(作品の実質の新しさについては別項で述べた)
ルパン三世も(高くないアングルもあるが)各話同様にはじまっており
劇世界の広い臨場感を最初に確保している。
この種の絵は吸引力が大きいのでいわゆるツカミの効果も堅実である。

ゲゲゲの鬼太郎では初話の主人公血液銀行社員が社長室に呼ばれ輸血により
異常をきたした病人を見に行けと言われ病室で幽霊化した患者に会い、輸血カードの
住所から自宅となりの廃屋を訪ねて鬼太郎の父母に面会する。
社長室→病室→廃屋と順に未知度が上がり興味は大きくなる。このため、各入室前の
紙面積は順に大きくなっている。面白い新しいことがあらわれるという印象約束を行い
実現するわけだ。前フリだけではなく面白いことそのものの描写も同様。逆に面白みが
小さいのに大面積を使ったら不愉快になる。プロ野球ニュースの試合ダイジェストで
どこに紹介時間を割くかと同じでまず面白さを見極めるセンスが要求される。
戦いや怪奇でない漫画でも法則は同じ。

全編構成を実感できない者は、怪獣映画の何々大全集といった
記録的書物を読むと良い。一冊の書物として全編構成の教科書なり。
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実際に絵コンテを作る手順。まず、
或る時間帯を一続きのシーン、エピソードユニットとして確定する。
次に、
全編構成からそれがどれだけの面積を占めるかをだいたい決める。
次に、
そこに収まるように、メロディの高低および音符のこまかさ、の幅およびその変化
(変化の変化すなわち変化率)のメリハリを多元複合的に総合して楽しくなるように
決定する。おそろしく複雑だがこれがコマ割りというものだ。

同時に考えるとはいっても実際は順を追う。ダンスのステップを反復して脚が無意識に
動くようになってから上半身の練習をして、全身が無意識に動くようになってから
意識的に調整するのに似ている。
したがって、コマ割りを体得するには膨大な段階的割り直しを行う。

或る時間帯の描写面積の大きさの判断について、
すでに述べたように要素は面白みであるが、もうひとつは物理的時間の流れに対する
精神の反応密度である。短距離走者の試合の10秒ほどはけた外れに長い。これは面白みと
一体で無い場合がある。キャラクタの精神状態が読者と同じでないケースだ。
たとえば恋愛劇で小さなケーキが届いて箱の中身がじつは指輪であると読者が
知っており受け取った女が知らず、箱を開けるまでいくらか時間があるならば、
描写は精密微妙に大きな面積を要することになる。

いずれにしても面積の大小は標準との対比であり、面積あたりの描写の標準密度というものを
確定しなければ判断することはできない。この意味でも四コマ的な前古典をマスターするが
堅実で結局速いとわかるだろう。

ケーキと指輪の案で、大きな面積と決まった後どうするか考えてみよう。
短編だからラストシーンであり(途中のシーンで指輪ならそうとうな長編になる)
かなり大きな面積となる。大面積の使用は大きなコマにすることと
時間帯を多くのコマに分割することの二種ある。ここでは箱を開く動作を
分割するのが良い。最後は大きなコマに大きくない絵で静かに終わる。
開くまでややじれったい間ががある方がよく、しめくくりにはもひとつひねりがほしい。
これらを折り合わせると、紅茶の湯を沸かすところから描く。箱を開ける動作の分割は
バストアップか顔か手元のアップであり最後の絵は紙上の水平と垂直線を示した
静かに落ち着いた小さめの全身像(これは別項で述べるアングルと構図の法則)なので、
なおかつ全体としてバラエティを要するから、三分類のひとつめ紅茶を入れるシーンは
大きくないコマに全身像とアングルは高め。最後のナレーションは
「安いティーバッグだけどその夜のお茶は最高においしかった」となる。このため、
全編的に紅茶にまつわるドラマにする。
★これはシーン先行で全編を構築する例でもある。
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つづく。


posted by スナノ at 08:16| コマ割り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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