2011年05月26日

昆虫記

★実作に使用する際は連絡すること。

「昆虫記」16ページ

ページ進行は厳格ではない。
1
扉である。ファッションモデル6人ほどの集まりが各人ポーズを決めた、
花束のような印象の絵。16枚短編で扉が一枚を占めるのだが、全編構成的に
粗くドカンドカンと進むので、これで良い。
2・3
主人公は19才の女で高卒の5月。
美しい顔立ちを自信の無さが台無しにしている。
長身を目立たせないように常に猫背。
バイト先で不評を買い仕事が終わって雑誌を買いアパートのドアを開く。
最後のコマは部屋の全景的大きな(ページ半分ほどの)コマ。
高いアングル。壁には芸能人の写真多数。ちゃぶ台にいくつか郵便物。
ペタンと座って芸能雑誌を読んでいる。
4・5
雑誌の応募用紙を見る。
募集記事の華麗な芸能人たち。
鏡を見て、ため息。そして実家からの手紙を開く。文面が始まる。
母が編んでくれた不思議な服は夏は涼しく冬は糸が太くなり暖かい。
二十歳の誕生日に向けて今からもう一着編んでいるという。
この種の衣料は実家にたくさんあるという回想。
それを着た家族の集合写真的な絵(ただし小さな面積)。
6
別の日。パチスロをしている。大きなコマに広い光景。
勝ち始める。
7
友人4人のメールあり。
A一流大学男、課題に追われて大変だ。
勝ち続ける。
B三流大学女、楽しいわあ。
勝ちが止まる。
C社会人女、厳しくて苦しい。
負け始める。
D家業手伝い女、家で働くなんてぜんぜんつまらない。
チャラになりやめる。
四段八コマに割って格段を同じ比率の大小に割り、
パチスロ画面とメール文面に分ける。
いずれかのコマに玉箱の状況を描きこむ。
8・9
別の日。バイトで叱られる。帰路、
「コドクだ。アパートへ帰ってもひとりぼっちだ」
雑誌やなんかを抱えたままちゃぶ台を見ると
毛虫がいる。
(嫌悪とともに)「毛虫!」
毛虫を見ながら荷物を置き、あらたまって普通に
「毛虫」
顔を近づけてよく見る。可愛い懸命な動き。
「・・・コドクでなくなった」
9・10
八百屋で「キャベツください」
部屋で毛虫を見ながらメールのやりとり
A大変だけど楽しいよ。つまらないとは言ってないだろ。
B楽しいわあ。
C仕事が楽しくなってきた。
Dあーんつまんないよ!
この間、毛虫は猫大→1メートルと大きくなる。
(つまり、4通のメールを見るのは別の日と示すことを
兼ねる。これは主人公の部屋着や髪のまとめ方の
違いでも示す)
主人公からは毛虫については触れない。
部屋の中の平凡な変化は申告するが
他に何もないというのだ。
11・12
無人の部屋、毛虫は人間大になっている。
バイト先、やはり彼女は叱られる。今回は一番ひどく、
いつまでたっても良くならないことを指摘される。
パチスロへ向かう。
メール
A学業が一段と忙しくなるので当分返信しない。
B楽しいわあ。
Cもうぜんぜん叱られないよ。
Dイケメン青年が雇われてラプラプよ。
パチスロは大負けしてしまう。
次のシーンにつなげるために、極めて険しい表情に。
13〜16
部屋に帰ると毛虫は巨大な蛹になっている。
「なんだこれは・・・なぜこんなものがあるんだ!」
やや間、
「あの毛虫がこんなに大きく?
・・・あっ!あー・・・」
毛虫の大きさ以前に存在自体をほとんど認識していなかったことに
気づいて呆然とする。
そして、やや冷静に内省的に(顔は険しくなくなっている)
「・・・というよりそもそも私はなんだ?」
次に、あるていど大きな暗闇コマ。ここから蛹内部の絵となる。
★脱皮シーンは時間分割を多めにして面積を豊かに使う。★
中からバリバリと破る展開。主観絵で自分の手足を見る。
外に出て部屋の床を踏む。
客観絵になり、部屋に立つ、自信に満ちた(それゆえ)美しい女。
全裸である。背後の壁に芸能人の大きな写真。
抜け殻を不思議そうに見ている。
触って材質を調べると、ほぐして太い糸になるようだ。
やや間があり、正解を見つけたかのように
「編み物に使えそうね」
この後のコマ間の空白を大きくとる。

大きめの広い光景の絵。
タレントのオーディション会場に参列する主人公。
「次、7番!」
★大コマの前に分割コマを足してつながりを良くするのは
アリだが、足すのは一つまで。ラストは簡潔でなければならない。

end
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毛虫と蛹は写真のようにがっちり描き込む。
パチスロと携帯はあやふやな人間との対比でシャープなメカとして見せる。
ポスターの芸能人は自信に満ちた華麗さを強調する。
これも写真的に描いてもよい。
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単なる夢オチではなく夢的構造をメインに描くのはアリだ。
夢テンプレにかなりのバリエーションがある。
「幻の時刻表」では劇中の現実は夢的ではなく、
[現実が一定の法則で変換された夢を見ており必ず目か覚めて
真相がわかる]という約束が冒頭から示されている。
プラナリアの超能力自体は夢的ではなく夢に落ちたキャラクタを
読者が醒めて見ることになる。「電視箱男」
http://homepage1.nifty.com/sunano/dw0.htmもこのタイプだ。
「魚の夢」「昆虫記」は劇中現実が夢的構造だが、
前者は散文詩であり後者は実体を伴うSFである。
なお、[夢でしかありえない展開が続き、
何も明らかにならず終わる]は
小説ではアリだが漫画ではナシ。別項で述べたように漫画は
読者の知性を喚起するので、ウヤムヤで満足は得られない。


posted by スナノ at 15:03| 実践的解説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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